1947-10-20 第1回国会 参議院 国土計画委員会 第13号
○石川一衞君 櫛引ケ原は私青年時代に開墾したのですが、これは戰爭当時造兵廠の工場の敷地になりまして、今日開拓しておるのですが、土地の人は殆んど手を出しません。畑の土地は一年、二年目の普通の土地は肥料を呉れて半分、三年目はその半分、四年目は殆んどない。土地の人はそれを知つておりますから手を出しません。それでも今入つておるのですが。それは最近松根があつて、それを目的に入つておる。
○石川一衞君 櫛引ケ原は私青年時代に開墾したのですが、これは戰爭当時造兵廠の工場の敷地になりまして、今日開拓しておるのですが、土地の人は殆んど手を出しません。畑の土地は一年、二年目の普通の土地は肥料を呉れて半分、三年目はその半分、四年目は殆んどない。土地の人はそれを知つておりますから手を出しません。それでも今入つておるのですが。それは最近松根があつて、それを目的に入つておる。
○石川一衞君 私は茨城は分りませんですが、埼玉について申上げますと、埼玉縣には櫛引ケ原というのがありますが、四百町歩あります。それが水害を被つておるのですが、その調査からいうと埼玉のに拔けておるのではないでしようか。